治せない死に対し、治すための医療を行う

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

私たち日本人は、自然なできごとである死を、日常生活の中からほとんど排除して暮らしています。
ですから、90歳代の親が死ぬことが、70歳前後の子どもたちの念頭にないということが生じます。
そこで、親の死期が迫っているという事実を突きつけられると狼狽してしまうのです。
そして、「こんなはずではなかった、こんなことならああしておくんだった、こうしておくんだった」ということで、延命に走ってしまうようです。

発達したといわれる近代医学であっても、延命治療で死を少しばかり先送りすることはできても、回避できるような力はありません。
治せない死に対し、治すためのパターン化した医療を行うわけですから、わずかばかりの延命と引き換えに、苦痛を強いられることになります。
まさに「できるだけ手を尽くす」が、「できる限り苦しめる」と、ほぼ同義語になっているといっても言い過ぎではない状況を呈しています。
では、これを防ぐにはどうしたらいいでしょうか。