11年目に亡くなった、哲学エッセイストである池田晶子さんの「死とは何か」という著書の中に興味深い文章がたくさんでてきます。
「なぜ人は長生きをしたいと思うのか」・・。多くの人は、「いろんな楽しいことができる」から、「好きな人と一緒にいられる」からと答えるでしょう。
むろん、それは素晴らしいことです。けれども、それらのことが素晴らしいことであり得るのは、自分が死ぬということを知っているからではないのでしょうか。
「死」によってこそ生は輝きます。
死ぬことを恐れて、先延ばしされた「生」よりも、死を思って生きられる方がはるかに充実しているはずです。
生存するとはどういうことなのでしょうか。難しいことですが、分からないからこそ考えなくてはいけません。
残念なことに、死刑を宣告されるとか、病気になるとかしない限りは、なかなか考えないのでしょうけれど、いかに生きるかと悩むより先に、生きているとはどういうことかと、ある時期に徹底的に考えておくことは誰にとっても必要であり、また面白いことだと思います。
たいていの人はレジャーとかセックスとか、快適に生きること自体を人生の目的にしています。
でも生きていること自体が価値であるためには、内的な価値が先になければなりません。
それが、良く生きるということです。
レジャーなど外的な楽しみに価値を求めるとしたら、でもそれが150年も続いたら飽きてしまいます。
満員電車の中では言葉を交わせない分、誰でもいい、常に誰かと繋がっていたいと思うのでしょう。
自分の孤独に耐えられないから、外に誰か他人を求めるとは、自分の孤独の空虚さ以外のなにものでもないでしょう。
そのようにして求めあう他人との関係が、どうして充実したものであり得ましょうか。
その他人だって、同じように空虚な孤独の人なのだから当然ですよね。