死の覚悟さえ定まっていれば

人は死ぬから幸福になれる 島田裕巳

武士は、いつ戦いに臨む機会が訪れるか分かりませんから、常に死と隣り合わせの生活を強いられました。
戦いではいのちの危険があります。
武士には死を覚悟することが求められました。
そこで、死の覚悟を説き、そこに悟りの境地を見出そうとする禅が、彼らに受け入れられたのです。

浄土教信仰は、衆生を救おうという阿弥陀仏の「本願」にすがろうとする他力の教えですが、禅は自らが悟りに至ろうとして修業を行う自力の教えです。
禅の修行では仏にすがることはできず、自らの力で生と死の境界を乗り越えて、悟りの世界に近づいていかなければなりません。

禅には「大死一番」という言葉があります。
一度死んだつもりになって事に当たることを意味します。
死の覚悟さえ定まっていれば、恐れるものは何もない。
いかなる事態にも立ち向かうことができるというわけです。