死が遠い所にあるときに死を恐怖する

人は死ぬから幸福になれる 島田裕巳

私たちが恐怖するのは、死を目前にした時ではありません。
むしろ、死が身近に迫っていないときにこそ死を恐怖します。
私たちは死が遠い所にあるときほど、死を想い、その訪れを恐怖するのです。

死んで自分というものがなくなったら、それでどうなるのだろうか。
死によって肉体が機能しなくなれば、こころの働きもなくなります。
死について想っている今は、はっきりとした意識があって感じることもできます。
そうしたことがまったくできなくなり、それが果てしなく続くということはどういうことなのでしょうか。

意識がなくなるというところでは、死と眠りは共通しています。
眠りはいつか目覚めますが、死んでしまえば2度と目覚めることはありません。
でも、死んだ経験のない私たちは、それをうまくイメージできません。
それがどんな状態なのか知りたい気もします。
でも、知ってしまえばそこから戻ってくることはできません。

しかも死んでしまえば、自分のことは忘れられてしまいます。
身近な人でも、いつまでも悲しんでいられるわけではありません。
生きている人にはそれぞれの生活があり、人生があります。
亡くなった人のことを忘れなければ先へは進めません。
その点で死はとても残酷です。
その残酷さが、死への恐怖をさらに強いものにしていくのです。