本音を吐露

人は死ぬから幸福になれる 島田裕巳

岸本は今まで通りの行動をしていたものの、心の中では絶えず迫ってくる「死の足音」に耳を澄ませていたそうです。
それでも、死から逃げようとか、神仏にすがろうとか、あの世を信じる気持ちにはならなかったといいます。
そして、この期に及んでも揺るがない自分の知性の強靭さに対して、いささかの誇りを感じていたことも偽りのない心情であったと記しています。

ところが、がんの体験から3年たったときの心境を「大世界」という雑誌で語られています。
「2~3年前、医者からがんだと言われた。大手術をして、奇跡的にそれを食い止めるまで3週間ほど、死を見つめて生きてきたことがある。その間、私はやせ我慢をして平然としていた。人々が感心するほど平気を装っていた。ところがその時、碁を並べてみて驚いた。碁は正直なものである。いくら並べてみても、いつものように食い入るような面白さが少しも湧き上がってこない。盤上に、生気を失った白い石と黒い石が、ただ雑然と並んでいるだけの感じである」

この文章と3年前に記した文章とでは、随分と印象が違います。
岸本は決して、死に直面して「知性の強靭さ」を示せたわけではなかったのです。
相当にやせ我慢をしていたのです。
しかも岸本は、手術から4年目後の1958年、恐れていたがんの再発という事態に直面します。
その時の心境について「これは、私にとって大きなショックであった。心の中に真っ黒な夕立雲が、にわかに広がり始めたような感じであった」と記しています。