いのちの台地に立つ 高史明
あるとき1人の中学生から「私も死んでいきたい」と、私の子どもと同じような悩みを書いた手紙をいただいたことがあります。
そこにはこう書いてありました。
「人間を超えた精神の中にもっと大きな真実があるのではないか。私の肉体の存在を必要としない自由の中でこそ真実をつかめるのではないか、と思い始めたのです。そして私は死という言葉に行き当たりました」
しかしここでは、肉体と精神とが2つに分けられています。
精神に中にだけ真実を求めていくという生き方、そこに現代という時代があるように思います。
その対極が、肉体だけにもなるのでしょう。
サンテグジュペリの「星の王子さま」の中にはこんな言葉がありました。
大人というのは数字が好きです。新しくできた友達の話をするとき、大人の人は肝心かなめのことは聞きません。
「どんな声の人?とかどんな遊びが好き?」というようなことは聞かずに、「その人いくつ?とか、兄弟は何人いますか?とか、体重は?お父さんはお金持ちですか?」というようなことを聞くのです。
そして、やっと、どんな人かわかったつもりになるのです。
考えてみると、近代の合理的理性はすべてを数に置き換えているのでした。
ここに近代科学の思想の根拠があります。
サンテグジュペリは、「本当に大事なことは目では何も見えないよ。心で探さないとね・・」と言っています。