44歳男性の投稿
航空整備士になりたいと、関係の大学を望みましたが、親の願いで地元の大学へ、自宅通学の条件で入学となりました。
しぶしぶ入った大学でした。
親は、四千羽の鶏を飼い、卵を販売し、日中は町工場で働いています。
土日は農業と、早朝から夜遅くまで、365日、ただ黙々と働くだけの毎日です。
家計の情況も知らず、「せめて下宿したい」と無理を言い、仕送り額を見てびっくりしました。
いつもは〇万円という額なのに、〇万円の他に〇千円〇百円と細かな額で送られてきたからです。
「お金に困っているだろう。今、手元にあるお金、これで全部だよ・・」という気持ちで、仕送りをしてくれたのが分かりました。
そんな父の顔が瞼に浮かび、不覚にも泣いてしまいました。
穴の開いた靴を履き、ガラスの割れた時計をし続けていた父の姿が思い出されました。
自分の都合ばかりで、我儘を言い続けた不孝者、大学を卒業したら必ず楽をさせてあげなければと、思わずにはいられませんでした。
その父が、大学を卒業してすぐの年の瀬、突然の事故で亡くなりました。
遺品の中から、叔父あての「借用書」が出てきたときには、絶句しました。
親の命を削り続けて生きてきた自分が、情けなく悔しかったのです。
親の命を削ってもらったこの命、決して無駄にはしてならないと、今日まで真剣に生きてきました。
親の愛は、深くて暖かく、無限です。