悲しみの日々を大事に生きていく

いのちの大地に立つ 高史明

人間にはうれし涙があり、悲し涙があります。
悲しみの涙に浸透されたものは、なかなかそこから逃れることができません。
しかし、悲しみの涙と一緒に歩んでいくことで、いのちを見失うという闇に落ちていた人間が、もう一度本当のいのちを歩むことができるのではないかと思います。
そしてそれが、お釈迦様が開かれた教えの根幹であると考えていいのではないかと思います。

人間とは、他人の老いを見ると、自分の老いが見えなくなるのでした。
他人の死を見ると、自分の死が見えなくなる。
これがお釈迦様のおっしゃる無明です。
そのように考えてみますと、死んだ子供に手をとられて涙を与えられて、そしてとぼとぼと、うろうろと右往左往しながら生きてきたということは、実はとても大事な日々であったと気づかされます。
私は苦しいとき、悲しいときにその悲しみを大事に生きてこそ、本当の道が開けてくるように思います。