いのちの言葉 医師 日野原重明
診察をするとき、私はその患者さんの生き甲斐がなんであるかを考えます。
そして今無理をしたら、先の希望が無くなるようなときには、無理は許しません。
でも、年齢が高くなり、その患者さんの現役時代が終わろうとしているときには、危険が伴う賭けのようであっても、私が付き添うことで患者さんが心残りのないようにすることができるというのであれば、私はその人の側に立って行動します。
私は定年を65歳と決めて、病院をリタイヤしました。
そして、そこから今日までの28年間は、私がすることはすべてボランティアの仕事としました。
収入があれば、その収入は良いことのために使うとか、研究のために使おうと決心しました。
私は、よど号のハイジャック事件で、まさしく死ぬ思いを味わいましたが、それで価値観が変わりました。
見かけは不幸なことであっても、それが人間を変えることに連なるのだと、お話しできるようになったことには感謝しています。
私たちは、いろいろなことにぶつかって救いの道を求めるときに「救いはないんだ・・」と思うのではなく、「まだ救いは見えないだけだからしばらく待とう!!」と考えるべきだと思います。
雲がかかって富士山が見えないときもありますが、やがて、風が吹いて雲が流れていけば、壮大な富士山は姿を現します。
待ち、耐えることによって、私たちは人間として成長するのです。