弱った心を再生する

人のご縁ででっかく生きろ 中村文昭

ついこの間まで滞在していたという、ある青年もそうでした。
その青年は、都会で働いていましたが、仕事が自分に合わないのではないかと退職し、あちこち旅をしながら屋久島にたどり着いたといいます。
まだ若く、気楽な旅を楽しんでいる人にしては、あまりに張り詰めた表情をしています。
「作品を見せていただけないでしょうか?」
下を向いたままいう姿を見て、岳南さんはいつも通り「ほな、勝手に見てって」と答え、黙ってたばこを吸っていました。

そっと様子をうかがうと、何時間も屋久杉に向かい合ったまま、青年はじっと考え込んだり、ぽろぽろと涙をこぼしたりしています。
岳南さんも、ずっと傍にいましたが、やがて声を掛けました。
「これの良さが分かるんか」
青年はゆっくり振り向きました。
今度は顔を上げ、岳南さんの顔を見ました。
「心が引き込まれる気がします。芸術も分からないし、何のとりえもない僕でも、見とれてしまいます」
「取り柄がないことなんてないんや。そんなきれいな心があれば大丈夫。あんたには、こんなに素晴らしい心があるんだ。自分に感動する気持ちがあるというその純粋さが、何よりも素晴らしい」
岳南さんはそれ以上、細かいことは言いませんでした。

慰めも励ましも受け付けられないほど、気持ちが弱っているときに、ただやさしいだけの言葉を重ねても意味がないからです。
「そんじょそこらの接し方では、その子の抱えているものは解決できないし、そのままでは帰せない。1週間、一言もしゃべらないで、じっと見守ることもあるよ」
だから、自宅に泊め、一緒に酒を飲み、語り合い、自分の力で歩いて行けるまで待ち続けるというのです。
青年は、しばらく工房に滞在し、すっきりした顔をして都会へ帰っていったそうです。