昭和19年11月、大田区の端野いせさんの一人息子、新二さんは「学徒も動員している。内地より満州の方が安全だ。心配せずに行かせてください」と言って、満州に渡った。19歳であった。
昭和20年8月15日、日本は敗戦を迎えた。
同時に、海外に残っている軍人、民間人合わせて600万人以上の方の、日本への引き上げが始まった。
端野さんは、息子からの連絡が途絶えたままだった。
引揚船の名簿にも名前がない。
しかし、「もしかしたら・・・」の思い一つで、船が入港するたびに東京から舞鶴まで通っていた。
岸壁で。息子の名前を呼び続け、誰もいなくなるまで立ち尽くす姿は、見る者の涙を誘った。