子どもや孫に死を見せる

心あたたかな医療を 遠藤順子

いつお迎えが来るか分かりませんが、人間は最期の最期まで、きちんと生きる義務があると思うのです。
しっかり死のうという気持ちを持っているのと、持っていないのでは違うと思います。
その点、昔の人や侍はきちんと死を迎えました。

私の祖父は会津の人で、最期の時には郎党のような若い人たちが集まってくれました。
そして祖父が、ベッドに体を起こし、白虎隊の詩を吟じてくれと言うと、みんな涙をこぼしながら詩を吟じてくださいました。
祖父はそれをじっと聞き終えると、ありがとうと言って息を引き取りました。
さすが、会津の武士という感じでした。

今は病院で生まれ病院で死んでしまいますが、もしこれを家庭でできれば、たとえば「おばあちゃん、さっき迄苦しそうにしていたのに、死んだらこんなにうれしそうな顔になった」とか、そういう様子を子どもも見せることができます。
自分が好きだったおばあちゃんの死を通して、実感としていのちを考えるというのは、とても大事なことだと思うのです。