「死に方」は「生き方」 中村仁一
寿命とは「もう、おまえの娑婆での役目は済んだから戻って来いよ!!」という、仏からの呼びかけだと思うのです。
ほんの一時的なら別ですが、半永久的に人工呼吸器を使ったり、鼻から管を入れたり、胃ろうを作って流動食を流したり、高濃度栄養の点滴注射をしたりして、無理やり延命を図るのは問題だと思います。
そんなことをしても、何の展望も開けないのです。
いかに発達したといわれる医学に頼ったところで、孫悟空が結局は、お釈迦様の手のひらから出られなかったように、私たちも自然の摂理の手のひらから出られないのです。
生命誕生から35億年という、長い長いいのちの鎖があるわけですが、私たちはその鎖の中の、たかだか80年から100年を分担しているにすぎません。
落葉樹の木の葉は秋になると枯れ落ちますが、木の全体はびくともしません。
再び落ち葉は養分となって木を潤します。
私たちの人生も、この木の葉1枚1枚に相当するのではないかと思うのです。
私たちには両親があり、その両親にもそれぞれ男女のペアがあったわけです。
そうやって遡っていきますと、27代前には約1億3000万人、33代前になりますと、約86億人の男女がいたことになります。
この数は、現在の世界の人口より多い数です。
33代前といっても、1000年も遡らないと思います。
ずっと遡っていきますと、人類みな兄弟というのは決して誇張ではないことが分かります。