「手紙屋」 喜多川泰
勉強という道具は、自分をピカピカに磨いて、昨日とは違う自分になるためにある。
だから勉強という道具を使って学力が伸びても、人から嫌われるようでは正しい使い方をしているとはいえません。
大学合格を目的にしても、幸せになれるかどうか分からないのはこれが理由です。
合格するかしないかではなく、自分を磨けたかどうかによって、勉強という道具をうまく使えたかどうかが決まるのです。
だからこそ合格して不幸になる人もいれば、不合格になっても幸せを手に入れる人もいるのです。
勉強という道具を使って手に入れることのできるものは本当にたくさんあります。
その多くは心を育てたり、自分を磨いたりすることができるものです。
でももし、心の成長はどうでもいいからテクニックだけ鍛えて、将来○○大学に入れてくれ、という親がいたらどう思いますか?
こう答えるしかありませんね。
「それは無理です。心の成長なくして、その結果を手にすることはできません。万が一、手にしたとしても、いいことなんかありませんよと」
世の中には、得られるご褒美こそが勉強の目的と錯覚したままの人が多い気がします。
そして、間違ったやり方で勉強という道具を使った結果、さんざんな人生になってしまうのです。