いのちの台地に立つ 高史明
この「自分」とは何だったのか。
自分が信じられないから、万人が信じられない自分だったのです。
その1人はまた、ただ崩されるのを待つだけという思いを抱いていた自分です。
それに思い立った時、私は自分が子供に言った励ましの言葉の深い闇に気づかされました。
「他人に迷惑をかけるな」という私の言葉は、一見正しいかに見えますが、気づいてみるとそこに「私中心」に生きるようになった近代の人間の闇が現われています。
人間、何人といえども、他人の働きなしには1日も生きていかれないのでした。
たとえば、歩いている道は自分が作ったものではない。
履いている靴も自分で作ったものではない。
毎日頂くご飯もそうです。
ほかに作った人がいたから、そのおかげで利用することができたのです。
それを全身でうなずけていなかった。
お金を払っているから、何人にも迷惑をかけていないと思っていたのです。
これはいのちの大地を見失った人間の姿ではないでしょうか。
無数の人々の働き、そしてつながりの中で自分が生きているということを知った時、はじめて人間は本物の自分になる1歩を始めるんだと思います。
分かりやすく言えば、頂いてきたいのちを大事にして、他の人や他の生き物にもお返ししていくような生き方です。