明日この世を去るとしても今日の花に水を 樋野興夫
病気になったことで、出世街道から外れてしまったり、職場で干されてしまったりして、人生の目的や生きがいを失ってしまう人がいます。
がん哲学外来に来てくれたAさんもその1人でした。
がんの治療を終え、職場に復帰したはいいが、自分の居場所がない。
かねてから進めていたプロジェクトは同僚が引き継ぎ、上司に「これまで通りに仕事をさせてほしい」と訴えても「焦らなくてもいいから、まずは身体のことを考えなさい」と聞き入れてもらえません。
「もう二度と元の自分に戻ることはできないのでしょうか?」Aさんは、すがるような表情で私に尋ねました。
人生の目的とは何でしょうか?
偉くなったり、金持ちになったり、会社で重要なポストを任されたりすることでしょうか。
いいえ、それらは目標であって目的ではありません。
元気な時は会社や肩書があるからいい。
自分は偉い、自分は恵まれている、最高に幸せと感じられるのでしょう。
ところが予期せぬことが起こり、一線を退くことになってしまった、するとその途端に行き先を見失い、鬱的症状を呈する人がいます。
なぜでしょうか?
自分の人生に期待していたらか、看板かじりになっていたからです。
私は、仕事は衣食住が足りるものがあればいいと思っています。
経済的に自立さえできれば、地位や名誉なんてどうでもいい。
暇になっても会社からお金がもらえればそれで十分、仕事は衣食住のためと割り切って考え、生きがいややりがいは別のところに見つければいい。
生き方は1つではありません。
自分の人生に期待しない。
人生から期待されていると考える。
後悔しない人生に必要なのは、金や地位や名誉ではありません。
自分の与えられた役割を見出し、そのことに全力を尽くす。
外面的なものばかり追い求めても多くが失望に終わります。
私たちの人生に必要なのは、心から湧き出る喜びです。