一般病院は死を迎える場所として適切でない

私はガンで死にたい 小野寺時夫

在宅療養支援クリニックは24時間対応をするため、数人の医師がいるクリニックと数か所のクリニックが共同体になっている場合とがあります。
複数の医師からなる優れた緩和ケアチームもあれば、「夜間や休日は電話をしないように言われた」とか「がんだからある程度の痛みはやむを得ないと言われた」とか、「顔を出すだけの短時間の往診回数が多すぎる」など、様々な不満を患者さんや家族から聞くこともあります。
要は、その地域でうまく活用できる良いクリニックがあるかどうかです。

一般病院は、死を迎える場所としては適切でない場合が多いと書きました。
それは、私の身内の何人もが大病院でかわいそうな、あるいは悲惨な最期を迎えたことも理由の1つです。
この経験が、私が緩和ケアに関心を持つきっかけにもなりました。
十分な緩和ケアのノウハウが不十分なために、激しい苦痛に苛まれたまま患者さんを死に向かわせるがん医療は、野蛮であると言わざるを得ません。

私の父(83歳)は、胃がん手術後の再発で、その地方最大の公的病院で亡くなりました。
飲食が急にできなくなって、緊急入院しました。
あいにく、手術をしてくれた院長が不在だというので、私が電話で大学時代の知り合いの医師に対応をお願いしました。
ところが単身赴任のその医師は、父にちょっと会っただけで、その週は手術がないからと車で4時間かかる自宅に帰っていたのです。
結局、父が亡くなるまでの3日間、医師の回診が全くなかったのです。
亡くなる日の夜、不穏状態で起き上がる父を兄たち2人が抑えながら、看護師に医師の診療を何度も頼んだが当直医も来ず、父は兄たちに抑えられながら早朝に息を引き取ったのです。