マザーテレサのグループの優しさは

下座に生きる 神渡良平

マザーテレサのグループのあの優しさは何でしょう。
我々だったら相手が難題を持ちかけてくる人だったら、嫌がり、避けようとするし、なるべく無益なトラブルに巻き込まれまいとします。
ところがどうでしょう。
マザーやシスターたちやその共感者たちはどこまでも自分を、相手の不安や不信や迷いや孤独を解消するための道具として差し出します。
そのことによって自分がどういう苦労をしようとも、相手のネガティブな感受が解消されるのだったら、甘んじて受けようとします。
この違いはどこから来るのでしょうか。

マザーやシスターは、何にも増してまず自分と神との関係を深めることに心を注ぎます。
日々のミサ、祈り、瞑想、座禅、経典の拝読、そして陰徳を積む行為などによって、神の御心が実践できる自分になろうと努力します。
すると次第しだいに大きな存在に包まれていきます。
新緑の季節のような気持のよい風が吹いてきて、自分は完全に受け入れられ、愛されているという感覚になっていきます。
この感覚に包まれたうえで、人に相対するのです。
従ってそのときには相手の事情に左右されることなく、逆に相手を包み込むような心情に至っているのです。