「死に方」は「生き方」 中村仁一
私たちの身体を構成している主な元素は、炭素、水素、酸素、窒素です。
亡くなって葬られる過程で、これらは空中に拡散したり、土中に溶け出したりして世界中を巡ります。
そして、再び空気や水や食物として取り込まれ、私たちの身体の構成成分となるのです。
つまり、キリストや釈迦の身体の構成成分の一部が、私たちの身体をも作っていることになります。
のみならず、これらの元素は牛や木や草や石ころをも作っていることになり、これらと兄弟ということになります。
私たちはとにかく、身体も命も自分のものと考えがちです。
しかし、私は仏さまからの預かりものだと思うのです。
借り物、預かりものですから、注文をつけたり、嘆いたりするのは間違いなのです。
あるがままを頂いて、帰還命令のおりるまで、精一杯生きればいいと思うのです。
生死の境を彷徨した末に、半身不随で蘇ったとします。
その時、こんな体で助かるなら、いっそのことなぜ死ななかったのだとと嘆いてはならないのです。
なぜなら、仏さまはその状態で生き抜いてほしいと、わざわざ半身まひの身体を預けたからです。
それは「あなたなら、半身不随でも生きて見せてくれるだろう。あなたなら、きっと重い障害があっても生きられることを、周囲の人に示してくれるに違いない」と見込んでのことだと思うのです。