心あたたかな医療を 遠藤順子
でも、昨年亡くなった私の身近な人は、理想的な死を大学病院で迎えました。
そこでは病人を取り囲む医療がものすごくあたたかったのです。
例えば入院した2日目に私が行くと、夫婦で使っている愛称で、看護師さんもその人を呼んでいました。
患者さんがアットホームな感じでいられるようにとの心遣いなのですね。
そうして3か月がたったある日、ドアを開けると何かいつもと様子が違いました。
先生はあと1週間くらいとおっしゃったと言うのですが、私にはどうしてもそう思えませんでした。
そこで、奥さまに、「今日の夕方か明日の朝が危ないと思うから、今日は泊まった方がいいですよ」と言ったのです。
そして、1時間くらいすると、ゴーゴーという呼吸音がパタッと止まりました。
「息が止まったわね」と言ったのと、看護師さんたちがモニターテレビをもって走ってきたのとがほとんど同時ででした。
やがてすべてが止まりました。
すると看護師さんがその奥さまに「よかったですね。パーフェクトでしたね」と言ったのです。
私は驚きました。
できるだけ安らかに死なせようと思って本当に努力してくださったのです。
臨終のときに、家族が病室から出されることもなく、お医者様もできるだけ安楽に逝かせてあげようと最大の心遣いをしてくださった。
それは人と人との問題だと思います。
こういう病院を探し当てられたら、楽しく死ねるかなという気が今はしています。