いのちの台地に立つ 高史明
わが子が中学生になった時、私ははなむけとして、次の3つの言葉を贈ったのでした。
一番目「これからは中学生だ。自分のことは自分で責任を取りなさい」
二番目は「他人に迷惑をかけないようにしなさい」
そして三番目が「自分のことは自分で責任を取り、他人に迷惑をかけないならば自分の人生だ。自分の責任で生きていきなさい。それをお父さんは応援しよう。もうこれからは、ああしろこうしろとは言わないことにする」
子どもは「はい」と素直にうなずいてくれました。
しかし、それから3か月ほどして、自分で死んでいったのです。
最期の言葉が手帳に残されていました。
「ぼくはしなない」という題がつけられていました。
「ぼくは しぬかもしれない いやしなないんだ ぼくだけは ぜったいにしなない なぜならば ぼくは じぶんじしんだから」
子どもが亡くなった後、大勢の人から、死なないと書いておきながら、なぜ死んでしまったのかと聞かれたものでした。
しかし私は、この「じぶんじしんだから」という1字1字に込めた思いが、最後のところでこの子を死に引っ張り込んだのではないかと思っています。