「死に方」は「生き方」 中村仁一
がんの検診は、たとえがんと無関係であっても、何か異常があれば、大体精密検査に回す仕組みになっています。
仕組みはどうであれ、受診者側からしますと「精密検査を要す」という通知が届きますと、心穏やかでいられるはずがありません。
もしも、がんであったらどうしようと、心も千々に乱れ、夜は眠れなくなる。
食欲は落ちるなど、精密検査の結果が判明するまで、生きた心地がしない状態になってしまうことが多々あるようです。
しかもまた、精密検査が出るまで、結構日数がかかるのです。
私の知り合いで、こんな気持ちを味わうのは二度と御免というわけで、検診をやめてしまった人がいるくらいです。
しかし、現実に、検診を口やかましく言っているはずの、がんの専門医が次々にがんになったり、がんで亡くなっていく状況をどう説明したらいいのでしょう。
かつて元山口大学教授の柴田二郎氏は、「医者のホンネ」(新潮社刊)の中で、医者は検診や予防が無駄であり、無効であることを知っているからではないかと書いておられます。
確かに、医者という人種で、まじめに熱心に検診を受けている人が極めて少数であるというのは事実です。