生きること、創ること 小椋佳
歴史的に振り返っても、日本という国は自ら何かを生み出すよりも、海外からどん欲に諸文化を取り込み、それを日本風にアレンジするということの繰り返しだったように観察されます。
総じていえば、真似が主流の文化であったということができるでしょう。
ところが近年、時代は大きく変化を見せているようです。
グローバル化の過程で、真似文化は評価されないことがはっきりしてきました。
さらに、幸せを保証する終身雇用制や、年功序列制というシステムは崩壊しつつあります。
今や、個人が自己選択的に生きざるを得ない時代、自己創造的に生きざるを得ない時代が始まっているということでしょう。
こうなると改めて自分というものを見つめることが必要になります。
ところがさて、自分というのは探し当てられるものでしょうか。
「自分とは何か」という問いを立て、自分という言葉を繰り返し唱えても、その回答は出てきません。
自分とは何かという答えを出す方法として、昔から賢人たちが説いてきた方法があります。
それは所有格の「の」を使う方法です。
「自分の何々」という場合の「の」です。
その「何々」が自分にとって切り離せないものであったとき、それこそが自分自身だということです。