「私」のコントロールの範囲外のこと

生きること、創ること 小椋佳

死を選択した意識など、私全体から見れば、ほんのわずかな一部でしかありません。
いのちの総体は私が生き続けることを常に要請しているのです。
人間の意識や思考や意思といったものは、1人の人間の構成要素の一部でしかありません。
たとえば食欲というのは、私たちの意識や思考や意思以前に、別のところから立ち上がってくるものです。
すなわち私は、「私」のコントロールの範囲外の働きに突き動かされて、食事というものを重ねているわけです。

普通、私たちの中の自律的な部分というと、肺や心臓があげられますが、実は、ほとんどの欲求も感情も、また記憶も、意識的なコントロール以前に自律的に生起するものと観察されます。
そのコントロールが効かない部分の重大性に、またその部分が他の人とは微妙に異なる個性を持っていることに、私たちは気がついているのだろうかと思うのです。