重要な目的と小さな目標

人生は選択の連続です。
ほとんどの選択は「お腹が空いた、ご飯を食べよう」のように無意識に行いますが、意識して選択する場合もあります。
人はものごとを、自分の信念、姿勢、意見、経験に従って選択していきます。
これらを信条といいますが、心情は経験上「恐れ」に関連したものが多いようです。

私が小学校1年生の頃、卒園した「キリスト教」関連の保育園のクリスマスパーティーで、牧師さんが「アーメン」と唱えた後に、私が「アーメン・ソーメン・冷ソーメン」と大声で言ったことがあります。
牧師さんは、カンカンに怒って私を保育園から出ていくように言いました。
そのとき、私の心の中で「小さな赤信号」が点滅しました。
目立とうとして冗談を言うと、痛い目に合うという赤信号です。
この時はまだ無意識ですが、やがて歳を重ねていくうちに私の中で「赤信号が点灯」し始めました。
「教室で、社会で目立つ」ことが怖くなったのです。

こうして「目立つと痛い目にあう」という恐怖が、人生を支配していきます。
この恐怖を乗り越えるエネルギーは、「人生で何が一番重要なのか」という目的感を持つことです。
人生にはっきりとした「目的」があれば、恐れや障害物に遭遇しても、それを乗り越えようという強い意志で対抗できるからです。
「目的を持つ」とは、自分にとって一番重要なことのために「意識して行動しようという選択」をすることです。

「目的」と「目標」はまったく違うものです。
その違いは「目標」には終わりがありますが、「目的」には終わりがないということです。
たとえば「目的」が、「素晴らしい仕事を通して喜ばれたい」とします。
すると「目標」は、「仕事上の知識を身につける」「アフターフォローを喜んでする」「相手の話しを聞いてあげる」「顧客に最善の商品を提供する」のようになります。
目標は達成すると終わりますが、目的は継続的に経験していくものなので終わりはありません。

自分の「重要な目的」を達成するために、「小さな目標」を設定していくのです。