選ぶことのできる自由

今日が人生最後の日だと思って生きなさい 小澤竹俊

何の疑問もなく、明日のことを語ることができるというのは、それだけで大変な宝物を手にしているようなものなのです。
老いて身体が動かなくなると、自由の意味が分かります。
心がつらくても、身体が健康なうちは挑戦した方がいいのです。

みなさんは、自分は思うように生きられていないと思っていませんか。
様々なものに縛られて、やりたいことが全然できていない。
でも、本当にそうでしょうか。
年齢を重ねて体力が落ちたり、大きな病気を抱え、ベッドの上での生活が長くなったりすると、1人で食事をしたり入浴したりするのが難しくなります。
今まで当たり前にできていたことができなくなるというのは、とてもつらいことです。
人生の最終段階になると、自力で用を足すことすらもできなくなります。
それは多くの患者さんにとって、死にたいとさえ思うほどの苦しみです。
しかし、そんな苦しみを抱えながらも、下の世話を他の人に委ねてもいいと思ったり、誰に世話を託すかを自分で決めたりすることができれば、選ぶことができる自由は失われません。

選ぶことができる自由が損なわれると、人は時として、自分の存在価値を認めることができないほどの苦しみを味わうことなります。