適応能力

現代社社会は、もっぱら進歩ばかりを追い求めて、先へ先へと技術を進めてきました。
その結果できあがった社会を、私は少々息苦しく感じています。
むしろ、ちょっと不便でもいいから、もう少しのんびりした世の中を生きたいと願っています。

幸せが「生活の快適さ」によるものであれば、昔の人々は現代人より不幸せだったことになります。
でも本当にそうでしょうか。
現に私は、昭和の時間の流れの方が自分には似合っていると感じています。

 幸せは「生活の快適さ」ではなく「生と対峙する」感性によるものであれば、世の中の習わしに左右されにくい信念をもって生きている人たちの方が、「内的なやすらぎ」を味わいやすいと思っています。

適応能力の高い人たちは、世の中の変化に気づいても「こんな環境なのだから仕方がない」、「自分は、多分こんなものだろう」と素直に順応してしまいます。
ところが適応能力が劣っている一部の人は、「このような環境や自分」を変革してみたいと切に願って行動を起こします。
実は、こうした一握りの「適応能力が劣っている」人たちが、世の中を変えてきたのです。