逝くならガンで死にたい

いのちの言葉 ガン患者を支える会 竹中文良

ある程度歳をとると、感覚も鈍くなってきます。
たとえば、長い手術をしたあと、一番先に疲れるのが若い人たちです。
40代くらいの人は、後になって「今日は疲れましたね」というくらい。
私たちの年代になると、疲れが二日も出ないのです。
これは、私たちが強いのではなく、鈍くなっているのです。
ですから、疲れ具合を頭で考えて対処していかないと、健康は保てません。

私は、ガンと闘ってきた医者たちをだいぶ看取ってきました。
その方たちに共通していたのは、人間の寿命には限界があるということを、それぞれのポイントで感じ取って、自然に任せ眠るように逝ったことです。

ガンを専門にしてきた私たちのような医者は、大部分が「自分はガンで死にたい」と言います。
それは、早くに死にたいと言っているのではないんです。
ある程度まで生きたいけれど、その後はもう感受性も鈍っているし、神経もだいぶマヒしているだろうし、ガンに罹ってもそれほど強い苦しみはないだろうからというわけです。
それにガンは、他の病気に比べて、自分の死期をある程度見定めることができるからです。
一生の終止をつけられる、そして皆にもお別れもできるということで、ガンで逝きたいと言うんですね。

私たち医者が、人生の楽しみとは何かということを話し合うと、一番の生き甲斐は、何らかの意味で人の役に立つことだと思います。
ある年齢になれば、それほど大したことを望めません。
しかし、唯一、過去の経験を踏まえたうえで、他の人の役に立つことならできます。
そこに自分の生き甲斐を見つけることができれば、それが一番の幸せであろうと思います。