記憶装置

いのちの言葉 作詞作曲家 小椋佳

私たちにとって、自分が人生という舞台でどんなドラマを演じてきたか、というのは大事なことです。
しかし、自分がしたことや、私たちに起きた出来事のすべてを記憶しているわけではありません。
その限りでは記憶は不完全な過去です。
私たちは、自分の人生を判断する材料として、飛び飛びの断片的な記憶の束しか持ち合わせていないのです。
そしてさらに大事なことは、何を記憶に残すかという作業は、通常私たちが「私たち自身」と思っている思考や意思がやっていることではないという事実です。

日常の逐一について「これは覚えておこう」と思って覚えていくわけではありません。
わたしの人生シナリオは、私の意思とは無関係に、私たちに備わっている記憶装置によって書かれているのです。

私たちは、たとえば愛する人だとか親しい友達などについては、その人の癖や性格、趣味趣向について強く関心を抱きます。
しかし、考えようによってはそれらより重大な自分の中の記憶について、その装置の癖や性格の趣味趣向を探っている人は意外といないようです。
自分の人生を振り返ったときに、自分が好ましいドラマを演じてきたと思えるためには、記憶装置の特質を熟知し、書き手が書き残すであろう素材を提供していくような暮らしぶりが必要ということになりましょう。