言い訳はつらいです

内観とは、精神を集中して自分の心を観ずることにより、内部にある心理や自己の姿を知るための瞑想による修行法です。
無理に答えをひねり出すこととは正反対に、答えが自然に出る機会をつくることです。
内観するには、自分の邪魔をしないようにすればいいといいます。
心を落ち着け、静けさの中から答えが出てくるような時間と空間をつくります。
心の深いところにある知性はいつも存在していて、その声が聞こえないのは、思考回路の中の騒音やおしゃべりの音量が大きすぎるからです。
音量を小さくして静かにして、心を落ち着かせていけば「深い知性」を感じ取れるようになるといいます。

心に抱く「恐れ」を1つ1つ分析してみると、すべての恐怖感は役に立たないものだと分かります。
恐怖感は、夢や希望を阻むものでしかありません。
恐怖心は、様々な形をとって現れるため、理にかなっていると錯覚することがあります。
「じっくり時間をかけているのは、注意に注意を重ねているからだ・・」
「みんなが失敗するから、自分は絶対にうまくいくと確かめてから始めるんだ・・」などです。
すべての言い訳は残念ながら、うまくいかなかった時のための説明やこじつけです。
言い訳は、自分が今一歩踏み出せないことへの正当化と、始めたはいいけど途中で挫折しないかという不安に対する正当化です。

34年前、私が簡保の営業で行き詰ったとき、ある大学病院の看護師さんが大勢いるカンファレンスルームに飛び込みをしたときのことを思い出します。
自分の心の中で「おい、お前何やってんだ。早く帰ろうぜ。みんな忙しそうにしているこんな所に飛び込んだって怒られるだけだぞ!」という声と、「逃げるな、逃げても敗北感しかないぞ。結果的にうまくいかなくても、やったという自信はつくから!」という2つの声と格闘していました。
そんなとき、ほんの少し「やるぞ!」という声が勝った瞬間、私は大声で20人の看護師さんに向けて「郵便局です。今日は簡易保険のお話しで来ました・」と叫んでいたのです。
結果は? その大学病院内で100件近くの契約をいただきました。