葛藤

ガンになった緩和ケア医が語る 関本剛

私の病気が、完全に治るということはない。
それは厳然たる事実である。
それをどのように受け止め、消化するのか。
すべてのガン患者が直面するその問題と、私も格闘している。

イソップ寓話の「酸っぱい葡萄」のたとえのように、生きているということの価値を極力低く見積もることで、若くして死ぬことなど大したことではないと、自分を納得させようとしたこともあった。

自分はガンというババを引かされたかもしれない。
しかし、そのおかげで皆さんよりも一足お先に、この壮大なババ抜きの世界からおさらばできるーまるで、しんどかった部活を引退できてうれしがる高校生のような心境に、自分の葛藤の逃げ道を求めたこともある。
だらだらと治療費だけかさんで、徐々に悪くなっていくくらいなら、あっさり病気の悪化が進んで、なるべく早めにお迎えが来てくれた方がよいのではないかと考えたこともある。

自分のことはもうどうでもいい。
これから妻子が生きていくために、少しでも多くのお金を残さなければいけない。
自分が長生きすることは、その目的と反することだと。