般若心経5

是諸法空想ゼショウホウクウソウ すべてのものは「空」の有り様を逃れれない.。
不生不滅フショウフメツ 生じることもなければ無くなることもない。
不垢不浄フクフジョウ 汚れていることもなければ、きれいということもない
不増不減フゾウフゲン 増えるということも減るということもない。

これらを私流に訳してみると次のようになります。
形あるものは壊れて他の形に変化します。人間の細胞は、瞬間瞬間に壊れては新しい細胞につくり変えられています。つまり、生じることもなければ無くなるということもないのです。

豚にとって泥の床は至福のふとんです。しかし、人間にとっては汚い泥水にすぎません。
見る対象によって感じ方が違いますので、汚いということも、きれいということもないのです。

エネルギーと質量の総量は変わりません。質量が減るときに質量はエネルギーに変わります。エネルギーの発生は質量の消失になり、増えることも減ることもありません。

すべてのモノには実体がないという立場においては、形あるものや感覚、知覚・認識など、ないのだといいます。
眼、耳、舌、声、香、蝕などの感覚・知覚もないという立場から、知恵も無知もないとなります。

モノ自体は原子の集合体です。原子は瞬間、瞬間に飛び回っていますので、モノも生物も不確かな存在です。
原子のありようによって生物は壊れ死ぬこともありますし、また集合して生物が誕生することもあるのです。