般若心経3

「空クウ」とは一体どんな意味を持つのでしょうか。
仮に自分が目も見えず、音も聞こえず、匂いも感じず、食べても味がわからず、モノに触っても触感もなかったとしたら、自分をどのように感じるだろうか?と想像してみてください。
これが「空」の感覚ではないだろうかと思うのです。

人の命は肉親と繋がっているばかりではなく、他の人たちとも、食べ物や水も、この宇宙にあるすべての物質は「原子」が集まって成り立っているわけですから、誰一人として他から切り離されて存在しているわけではありません。
あらゆる「命」は、あらゆる「物質と溶け合って」います。
故にこの世のすべてを「巨大な一つの生命」といえるわけです。
この巨大な一つの命を「空」と位置付けると、この世のすべてが「空」であり、「空」もまたこの世のすべてであるといえるわけです。

あなたも私も、アインシュタインもニュートンも、鳥も花も、そして石ころでさえ宇宙にある原子で構成されているわけですから、同じ命といえます。

般若心経では、「意識」も「知恵」も「老死」も「生じる」ことも「増減」することも、さらには「苦しみ」もないと教えています。