職業の選択

身分社会だったころ、武士として生まれたら一生武士でした。他の階級に生まれて武士になることはできません。
現代風にいうと、職業の選択する自由がなかったのです。

親も子供が生まれたときから、立派な武士にするべく子供を教育します。
子供も、物心がついたころから、どんな武士になろうかということしか考えません。

今はというと、どんな家に生まれても、何にだってなれる自由があります。
ですから、現代人は「何になるのか」ばかりを考え、それを目標として生きることになります。
何になるかを決めることが目標設定であり、それを手助けするのが親の役割だと信じています。

「何になるのか」ということは言ってみれば、将来の職業の選択のことであり、どんな職業につけば幸せになれるのか、ということです。
そこには一番大切な「どんな人間になりたいのか」という要素が抜け落ちています。
その結果、一流大学を出て一流企業に就職したとしても「幸せ」を感じることが少ないのでしょう。

それよりも、多くの人から好かれ、慕われる(できれば尊敬される)人になることを人生の目標にするほうが、総合的にみて大きな意味があるように思えます。

人の話を聞くのが大好きな青年がいました。
彼は時間があれば、いろいろな人の話しを聞いていました。話しを聞くのが大好きなので、話しを聞いていることがうれしくて、何ともいえない表情で話しを聞きます。
そんな調子ですから、話す側もうれしくなって、彼を求めて訪ねてくるようになります。
当然の結果ですが、彼の人生は多くの人に助けられ、順調に過ごせたといいます。
世の中には、自分の話しを真剣に聞いてくれる人は少ないですね。

成功は職業についてくるのではなく、その人についてくるようです。