経験の蓄積

人間は、周りから評価された通りの人間になろうとします。
特に「自分は小さな存在で、周りの人たちに生かされている」と謙虚に感じている人は、その傾向が強いといいます。
人と比較する優越性の欲求は残っているものの、最善を尽くそうとしているのは、自分の欲求や優越性の欲求を満足させたいからではありません。
自分がいかに周りの人たちに助けられて生きてきたのかという事実を理解できたので、「自分一人の幸せのために」とは思えなくなっているのです。

「実力」などというものは、どこにも存在しません。
「実力」は理屈脳が勝手につくりあげた観念で、単なる処理能力の問題です。
言い換えれば、これまでにどんな経験をしてきたのか、という差でしかありません。
実力とは「経験の蓄積」と考えれば、これから誰でも、いくらでも増やすことが可能になります。

スポーツ選手が一生懸命練習するのも、数多くの経験を積んで処理能力を高めるためです。
そこで、次のように考えたらいかがでしょうか。
これまでの人生は成功も失敗も含めて、「経験を蓄積するための練習」だった。
試合はこれからもたくさん控えていますが、その試合も「次の試合のための練習」になっていくということです。