究極のおせっかい

人のご縁ででっかく生きろ 中村文昭

僕のふるさと、宮川村を襲った台風は甚大な被害をもたらしました。
今日は、父が病院に行く日なのにと思いつつ、自宅に電話をしたのですがつながりません。
秋雨前線で土砂降りだった後の台風ですから、自衛隊のヘリを出すこともできず、気をもむ僕にできることは何もありませんでした。

結局、無事だということが分かったのは、丸3日後のことでした。
ようやく飛んだ自衛隊の衛星電話で話しができたとき、母は父だけをヘリに乗せてもらって、こちらによこすと言います。
僕は母を叱りました。
「家なんか放っておいて、一緒に来い」と言ったのです。
ところが、母は逆に僕を「おまえは、アホか」と怒るのです。
「みんな家をなくしたり、ケガをしたりして困っているのに。被害のなかった者が被害に遭った人のことを助けてやらんで、どうするねん! お母さんは残るで!」

母は、父だけ送り出すと、家にとどまり15人くらい泊めました。
水道も止まっているので、山から引いた水を18リットル入りのタンクに詰めて、一輪車で運び込みました。
「溶けてしまっても困るから」と言いながら、電気の切れた冷凍庫の食べ物を分け合って、何日も過ごしたようです。

数日後、村民全員に避難命令が出て、母はようやく伊勢の僕たちに合流することになりました。
そして、ほっとしたのか、来た途端に背中が痛いと言い出しました。
病院でレントゲンを撮ってもらったら、疲労で背骨にひびが入っていました。
人の世話に夢中で気づかなかったようです。

僕は、またもや母の「普通」のすごさ、「おせっかい」という「普通」に脱帽しました。
まだまだ、この人には教えられることがたくさんあるなと思ったのです。
追いつめられても取り乱すことなく、人のことを考えられる、そういう母に育てられた幸運が、今の僕をつくったと言っても過言ではないと思っています。