私とは

いのちの言葉」作詞作曲家 小椋佳

さて、最後に記憶を取り上げてみましょう。
一人の人間が自分と他者を区別し、他でもない自分を認識するのは、記憶のおかげだといわれます。
極論すれば、私とは私の記憶の集合体であるということです。
しかし、これも厳密に考えてみれば、その人間の過去がすべて記憶されているわけではありません。
また、覚えていたはずの何らかの思い出が欠落したとしても、その人はその人として存在します。
となると、記憶もその人そのものではないと言えそうであります。

以上、自分探しについて述べてきましたが、要するに、それはタマネギの皮むきのようなものだと言いたかったのです。
私とは、探し当てるものではなく、自ら規定すべきもの、あるいは自ら創造するものといえるのだと思われるのです。
いのちは本来、私自身を不断に創造していくものと考えられるのです。