病気を見て患者を見ず

いのちの言葉 ガン患者を支える会 竹中文良

自分のガンに自分で気づいたわけですが、それ以前に何もサインがなかったかというと、そうではありません。
正直に言えば、2年ほど前から時々便に血がつくことに気がついていたのです。
でも自分の場合は、おそらく痔であろうと勝手に判断し、医師の診療を見送っていました。
医者の不養生の典型です。
それまで腫瘍があることに気がつかなかったのに、あると分かってからは、それがきちんと触れるんです。
しかも、夜中に目覚めて触れたりすると、前の晩より大きくなっているような妄想にとらわれるので、毎晩睡眠薬を飲んでいました。

いざ入院しても同じです。
私は最上階の11階の病室に入ったのですが、そこは見晴らしのいい所で、特に夜景が素晴らしいのです。
しかし、自分が患者として入院してみると、夜景なんて全く見えません。
どこを見ているかと言えばドアです。
医者でも看護師さんでも、話しをしたいという気持ちから、いつもそちらに集中していました。

医者も看護師さんたちも、そして私もそうだったんですが、ガンを治すということに夢中になっていくんですね。
そのとき、ガンをもつ患者さんの心がどういう動きをしているかということは、毛頭考えたことがありませんでした。
病気を見て、患者を見なかったのです。
しかし、「これは大丈夫だよ、このくらいのものは完璧に治るよ」といった医者の何気ない言葉に、本当に安心し、心の安らぎを覚えるのです。