生き方が問われる

わたしの落書帳から

社会的な責任や義務、また未来のために何かをしなければいけないという目標から解放され、自由になれるときがある。
それは命が終わるとき。
大病して病院のベッドに横たわっていると、嫌でも死を意識するようになり、人生のタイムリミットを自覚するという。
今まで自分は、一生懸命生きてきたのだろうか?
少しでも、誰かの役に立つような生き方をしてきたのだろうか?
それが問われる瞬間だ。

営業を始めたころ、マンションの上階から全戸の飛び込みをよくやった。
飛び込みを続けても続けても、なかなか話しを聞いてもらえなかった。
気が滅入り、マンションの非常階段に座り「なんで、こんなつらいことをしているのか・・・!」とため息をついていると、必死で勉強し、仲良く遊んでいる子どもたちの顔が浮かんでくる。
すると「こんなことをしているときではないぞ!」という勇気が出てきたものだ。
やる気が湧いてきて「話しを聞いてもらえるまで飛び込むぞ!」と自分を鼓舞できた。
家族や他の人のがんばりが、自分に元気を与えてくれるのだ。

あれからもう36年が過ぎ去った。