生きる意味はありません

仏教では「人間は無明」であると考えます。無明とは、知恵のない、真理のない状態といった意味ですから「人間それ自体には確かな根拠はない」となります。

仏教が何を言いたいのかといいますと、人間には確かな根拠などはないのですから「そんな自分を自分で変えられると考えるのは勘違いですよ」ということらしいです。

もっと言えば「人生それ自体に意味などないのですから、分からなくてもいいですよ」となります。
では、どうしたらいいのでしょう。 私の考えは次のようです。

 確かに自分の生きる意味をいくら考えても分かりません。そこで自分のことはさて置いて、私以外の人たちに私は何ができるのだろうということです。
例えば、笑顔で挨拶をする。何かをしてもらったら「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言う。ゴミを拾う・・など。
難しいことは考えずに、無理なくできる些細なことを取り敢えずやってみようということです。

「生きる意味」は死ぬときにきっと分かります。
「ああ、いい人生だった」と思えればいいのですから・・。