生きる 15

なぜ「死」は、現代社会の中で避けられ、隠されてしまうようになったのでしょう。
多分、人間は動物としての生存本能を持っているので、自らの死を予感させられるものに強い恐怖感を感じるからでしょうか。
一方で人間は、未来を予測できます。
死に対する恐怖を持ちつつ、自らの人生には限界があり、いつか死が訪れることを知っています。

少し前の時代では、人は宗教を信仰し、その中で死後の世界が説明されていました。
「死んだ後に来世がある」「善い行いをすれば極楽浄土に行ける」というような世界観を多くの人が信じていました。
一方現代では、宗教を信仰する人は少なくなり、科学をベースにモノを考えるようになりました。
しかし科学は「人間が死んだらどうなるのか?」という問いに対しては説明ができません。
誰も死んだことがないので、科学的に証明できないからです。
そこで現代人は、説明ができない死については考えることを避けることにしたのです。
これは、応急措置のようなものなので、死の問題に直面していないときにのみ有効になります。

しかし、ガンなどの病気に罹患したり、大切な人が亡くなったりする経験をしますと死の問題と直面せざるを得なくなり、表面的な対応から現実の問題へと、次の段階に進まざるを得なくなります。

正面から死の問題と向き合っていますと、それまで忌み嫌われるような恐ろしいイメージが変わってくるようです。
樹木希林さんも、生前「死というのは悪いことではない」と仰っていました。