生きる 14

「死」については、考えないようにしようとする風潮があります。
その裏返しとして、「人生は100年時代」と風潮するのです。
健康で長生きできるのは良いことかもしれませんが、誰でも「そんなことはないだろう・・」と知っているのです。
非現実的な「不老不死」を求める志向性が見え隠れします。

少し前まで、死は自宅で迎えるのが当たり前でした。
それが、いつの間にか死は病院で迎えるようになり、亡くなった方は「なるべく人の目に触れないように」正面玄関からではなく、裏口から見送られるようになりました。
誰にとっても日常の延長にあるはずの死が、日常から隔離されるようになってしまったのです。
医師は指導医から「最後まで絶対にあきらめるな。患者が亡くなるのは医療の敗北だ!」と教えられます。
その結果、チューブ類にたくさん繋がれ、やっと命を長らえるなど、患者本人が望まない形の延命治療が実施されることもあるわけです。

死を考えないようにする在り方は、現代社会の病理です。
なぜなら「人間には限界があり、いずれ死を迎える・・」と自覚していることが、非常に重要な意味を持つからです。
死を考えようとせず死から逃げて生きてきた場合、大きな病気になったとき、健康の喪失と向き合う術を知らないので愕然とするのです。
死に対する心構えについて、常に向き合おうとする姿勢が必要です。

人生には限界があり、いつ自分も病気になるかもしれないという事実は、等身大の人間として当然の認識のはずです。
こう言う話しをすると気持ちが暗くなるという人もいますが、「死」ときちんと向き合っているうちに、「死」という言葉の中に「光」が見えてきます。

「死」を見つめることは、どう「生きるか」を見つめることになります。
「有限」を意識することは、大切な今を無駄にしないように「生きていこう」という心構えに繋がっていき、豊かな人生に繋がっていく道しるべになってくれるのではないでしょうか。