理不尽を生きる

今は非常に便利になり、自由な社会になったので、多くの望みが叶うのは当たり前になり、欲望を我慢するのが難しくなっています。
それに伴い、忍耐することを拒み、些細なことを喜べなくなってきているのでしょう。
それが心の充足感を遠ざけているのです。

世の中は理不尽です。
十代で、あるいは二十代で重い病に罹り、亡くなっていかねばならない人がいます。
彼らが何か悪いことをしたわけではありません。
むしろ同年代の人よりずっと真摯に病や死と向き合い、周囲に感謝しながら人生を送っていた人たちです。
同様に三十歳そこそこの人が、ある日突然うなり声を残して一生を終えてしまいました。
くも膜下出血だったのです。
なぜ倒れたのは彼だったのか、若い妻と幼い子供を持つ彼が選ばれてしまったのでしょうか。

死をタブー視するのは、あるいは恐れるのは、それが嫌で目を背けてしまうからでしょう。
でも、それは必ず訪れるものです。
必ず訪れるものを嫌としか思えなければ、そこで「不幸」は確定してしまいます。
ホスピス医によれば、実際に死を目前にしている人たちは、嫌悪や絶望で心が占められているわけではないといいます。
「私は幸せです」「最高にいい人生でした」と気後れするくらいの微笑で語り掛けてくれると言います。

難儀な事態が訪れても、人はそんな穏やかな気持ちになれるのですね。