水戸光圀の誕生日

水戸黄門として有名な徳川光圀は、自分の誕生日には最も粗末な食事をしていたといいます。
家臣が光圀に「誕生日は、おいしい料理で祝うことが多いのに、なぜ梅干しと粥だけなのですか?」と尋ねると、「なるほど誕生日は、この世に生まれたことを祝う日である。しかし、この日こそ自分が亡き母を苦しめた日なのだ。それを思うと、珍味ずくめで祝いなどする気にはなれないのじゃよ。母上のご苦労を思えば、自分はせめて1年中でこの日だけでも、粗末な食事で母上のご恩に感謝したいと思うのじゃ」

子を宿してから出産までに、母にどれだけの苦労があったのか、子には知る由もない。
陣痛の苦しみに耐え、昼夜を問わず乳を与えてくだされたからこそ、今私たちは生きている。
思い出せる母の姿さえ、ありがたく涙が出てくる。
まして、記憶にないころから受けている恩は計り知れない・・・。