母の慈悲

投稿より 66歳 男性

戦時中、東京の空襲をうけて、父母の故郷、新潟へ疎開しました。
疎開っ子としていじめられ、豪雪に閉ざされた冬の半年は食糧不足で、柿を食事の代わりに食べたこともありました。
そんな苦しい、つらい敗戦直後の大変な時期に、母はいつも子供たちのために身を削って食べ物を与えてくれました。
母は、最後に残った子供たちの茶碗の一粒、釜に残った一粒を食べている姿を見て、子供ながらに心を打たれました。
今でも、その時の母の慈悲の心が私の心の中に生きています。

投稿 2  74歳男性
朝目を覚まして布団の中にいると、「早く起きや」と、布団をめくり「大きくなれ、大きくなれ」と、僕の身体をさすってくれた母。
温かい母のぬくもりが、僕の身体に残り、とてもうれしかった記憶がこの歳になっても残っています。