死を考えるのは、死ぬまでの生き方を考えること

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

2500年前にお釈迦様が気づかれたように、「死」もまた「苦」(思い通りにならないこと)であるので、どう死ぬのかなどを考えても仕方ないともいえます。
そして、死はその時の縁、巡り合わせで決まるものといっていいと思います。
例えば私は、救急車は呼ばない、乗らないがモットーですが、街中で卒倒していれば、救急車に乗せられ、治療の限りを尽くされて死ぬということもあり得るでしょう。
それも、その時の縁で仕方のないことだと考えるしかありません。

自分の死を考えるのは、死に方を考えるのではなく、死ぬまでの生き方を考えようということなのです。
すなわち、いのちの有限性を自覚することで、「今こんな生き方をしているが、これでいいのか」と現在までの生活の点検や生き方のチェックをし、もし「いいとはいえない」というのなら、軌道修正をその都度していこうということなのです。

そして結果として、目をつぶる瞬間「いろいろあったけど、そう悪い人生ではなかった」と思え、親しい周囲との永遠の別れに対しても感謝することができ、後悔することが少なくてすむ、という功徳があります。