死を意識しておくこと

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

病院で胃ろうを勧められた段階で、入居していた老人ホームに相談に来られる家族がいます。
そこで私が「患者の口から食べ物が入るだけでいいというなら、胃ろうもせずに帰ってきてもらっていいですよ」と伝えます。
そうすると退院時に医者から私に対して警告が入ります。
「命を軽視するようなことが許されていいはずがない」と。

しかし、本来、医療には目標がなければなりません。
それは、「回復の見込みがある」「生活の中身(QOL)が改善する」などです。
命の火が消えかかっている状態での胃ろうは、回復させることも、生活の質の改善も期待できません。
のみならず、体がいらないといっている状況下で、無理に押し込むわけですから、かなりの苦痛と負担を強いることになります。

この背景には、死というものを全く考えていないという事情があります。
いくら年をとっていても、まだ先と思っていた親の死が、いきなり目の前に突き付けられるわけです。
混乱します。
こんなはずではなかった、こんなことなら、もっときちんと親孝行をしておくのだったという、自責の念から延命措置である強制人工栄養に走るのが大部分だと思います。