死を学ぶことは生を学ぶこと

いのちの言葉 作家 曾野綾子

さて、人間は最期には、例外なく死にます。
私はカトリックの修道院が経営する学校に通ったので、子どものときから死について、次のように習いました。
「生涯は単なる旅路に過ぎない。そしてこの世は、永遠の前の一瞬にすぎない。だから、栄誉、栄華を極めても一瞬。また、一瞬だからこそ、一人一人が幸せになるように、どんな人にも励ましを与えて、どんな人とも笑いを分かち合って生きていくことが素晴らしい。そのためには常に死を認識している必要がある」と。

そしてもうひとつ、特殊な事情がありました。
私の両親は仲が悪く、私は母親の自殺の道連れになったことがあるのです。
そのとき私は「生きたい!」と母に言ったそうです。
そんな地獄のような生活を見て育ったので、子どものころから死を考えない日は一日もありませんでした。

死を見つめるということは、「生」を理解する手立てになります。
だから子供にも、死を見つめることを教えたいと思います。
死を学ばないことは、生を学ばないことに等しいのではないでしょうか。