死をしっかりと受け止めること

いい言葉がいい人生をつくる 斎藤茂太

もう1つ気になるのは、しだいに人々が死を受け入れられなくなっているという事実だ。
生あるものは必ず死ぬ。
死を受け入れなければ、生の意味も理解できない。
なのに今は、死を目にする機会があまりに少ない。
大家族で住むのが普通だった時代には、幼少期に曽祖父母が死に、少年少女の時代に祖父母が亡くなるというように、老いや死を日常に見る生活が当たり前だった。

ところが、核家族の暮らしでは、祖父母は遠くにあって、盆と正月にお小遣いをくれるだけの存在だ。
はっと気がつくと、年老いてしまっている。
老いのプロセスを目にしていないから、「おじいちゃん、おばあちゃんは汚いからキライ!」と言い放つ子供ができたりするのだ。

その上、おじいちゃん、おばあちゃんは病院で管理された中で死んでいき、まともに向かい合うのは棺桶の中できれいに整えられた姿になってからだ。
これでは、死に実感が伴わないのも道理だといえよう。

私は、21世紀の子どもの育て方の大きな課題の1つに、しっかり死を見せるということを掲げている。