死ぬのはガンがいい

大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

私は、20年以上前から「死ぬのはガンがいい」「ガンに限る」とあちこちで口走ったり、本に書いたりしていました。
そのため私は、一部の方からは臨終の場面には是非とも立ち会わせてほしい(拝観料をもらうといっているのですが・・)という、熱いまなざしを注がれる存在になっています。
それゆえ、「がん検診」や「人間ドック」など受けない努力はしています。

なぜ、死ぬもはガンがいいかについては、2つの理由があります。
1つは、周囲に死にゆく姿を見せるのが、生まれた人間の最後の務めと考えているからです。
しかも、じわじわと弱るのがいいですから、ガンは最適なのです。
2つめは、「救急車は呼ばない、乗らない、入院しない」をモットーにしていますので、比較的最後まで意識清明で意思表示可能なガンは、願ってもないものだからです。
ガンは死刑囚である私たちに、近未来の確実な執行日を約束してくれます。
そのため、きちんと身辺整理ができ、お世話になった人たちにちゃんとお礼やお別れを言える、得難い死に方だと思います。

「ガン患者の集い」を始めたころ、山村からの参加者が、3人の近親者がガンで亡くなったが発見が遅れて手の施しようがなく、医療から逃れられたため、いずれも穏やかな死だったという例を紹介してくれました。
こういう姿を目の当たりにした人は、決してガンを恐れないのです。
そして、こういう死に方ができるのなら、ガンも悪くないといっていました。